2022/12/19 02:27

 1945年9月2日、東京湾上のミズーリ号の船内にて重光葵、梅津美治郎、吉田茂らがポツダム条約に調印して大東亜戦争は終結し、翌月の10月にマッカーサが率いる連合国軍総司令部【GHQ】が日本にやってきます。
 

 マッカーサは大統領選挙を控え、徹底的に日本の非軍事化を進めました。マッカーサが日本国内で共産主義化を進めるたびにアメリカ国内での彼の支持率は上昇して行きました。
 あまり知られていないことなのですが、GHQでは二つの派閥争いが繰り広げられていました。

 一つは左派のコートニーホイットニー准将率いるGHQ民政局【GS】。もう一つは右派で赤狩りのウイロビーと呼ばれたチャールズ.A.ウイロビー少将率いるGHQ参謀第2部【G2】。

 戦後の日本で延々と続く右派と左派の攻防(というか茶番)はこの時のGHQの派閥争いが元になっています。 

 終戦直後はGSの勢力の方が強かったのですが、やがてG2に押し返されます。先にその経緯をあらましに説明すると、アメリカ国内のウオールストリートは大正時代からの日本に多額の投資を行っていたため、GSが進める大日本帝国の非軍事化、共産化が実現してしまうと 多大な損失が出てしまいます。それを阻止しようとG2が暗躍したGSとの凌ぎ合いを昭和電工事件。その結果日本はアメリカの巨大な軍事工場として急激な戦後復興を果たし、高度経済成長期を迎えることになります。
 まずは終戦直後の隠匿退蔵物資事件から述べていかなければなりません。これは終戦直後の日銀の地下の金庫などをGHQが押収したのですが、アジア中から集められたはずの貴金属や砂糖とか衣類とかの大半が行方不明となっており、世耕議員が捜査組織を立ち上げその行方を追ったという事件です。
  GHQは押収した金品のほとんどを返品しましたが、返品しなかったその一部は日本の中枢を操るための資金となり、またある一部はM資金、G資金と呼ばれるものとなります。行方不明になった大半の物資は日本の官僚や官僚とつながった財界人たちが横領していました。
 それらを捜査した組織が隠匿退蔵物資事件捜査部といいます。

 左派であるGSによって社会主義的な制度がつくられ、日本国憲法が制定され、片山哲内閣から芦田均内閣へと順調に日本の非軍事化が進んでいたところに右派であるG2が左派GSの急所を掴みます。

 それが昭和電工事件といい、簡単に言えば昭和電工の社長さんがGS派閥の政治家やGHQのGS勢力に賄賂を送っていた事件です。

 隠匿退蔵物資事件捜査部に逮捕権などを付与して昭電事件捜査本部にグレードアップさせて昭和電工事件を収束させました。その後検察庁に昭電事件捜査本部を移してそれが今の東京地検特捜部となっています。
 この事件で芦田均内閣は総辞職し、1948年10月、右派であるG2の後押しを受けた第二次吉田茂内閣が誕生します。
 ここからGSによって解体された元財閥企業はウオールストリートの指示で動くG2の管理下に置かれ、日本は巨大なアメリカの軍事工場として再スタートを切ります。
 朝鮮動乱、ベトナム戦争、中東やアジアでアメリカが繰り返した戦争により日本には一足飛びの戦争景気が訪れました。陰で戦後復興を支え、高度経済成長期を迎えることが出来たのはアメリカとソ連がアジアや中東で繰り返した戦争であったという事です。

 続きます