2025/03/19 13:54

明治時代の思想家、新渡戸稲造は『武士道』の中で日本の武士の精神を基盤とした道徳観を世界に紹介しました。

倫理観は単なる感覚や知識ではなく、試練や覚悟を通じて鍛えていくものだと私は思います。

倫理観とはただ育てるだけでは軟弱であり、そのような倫理観は混乱を招くものになるでしょう。

私は新渡戸稲造さんの『武士道』をそう解釈しています。

幸運にも現代日本ではそのような試練や覚悟が自身の身の安全を保障された上で試される機会が多々あります。身の安全が保障されないケースもありますが、さすがにそれは逃げても良しとされるでしょう。

そういった観点で私は長らく武道の道を歩み、社会や大人たちを見てきた気がします。
私はこれまで凶器をもった者と2度ほど対峙し制圧した経験があります。逃げられなかったわけではないのですが、修行の成果を確認したくて制圧してしまいました。
企業の非人道的な行いや不正や汚職に遭遇した時、逃げてしまう大人たちがほとんどです。軟弱な倫理観とはそういうものです。不器用と言ってしまえばそこまでですが、立ち向かうべき時に立ち向かわなければ自分の武士道がウソになるような気がしていました。

鍛え上げられた倫理観を持たない軟弱な政治家にとっては、非常にやりづらい時代になっていくかもしれませんね。
いつまでのらりくらりと誤魔化せるのでしょうか。
逆に鍛え上げられた倫理観で活動する政治家はますます危険が及ぶでしょうし。

時代の変わり目、移り目ということでしょうか。

倫理観はお金の苦労では鍛えられません。それはたくさんのスタートアップ企業や経営難の経営者をみればわかります。
過度な誇張や誤魔化しや脱税は軟弱な倫理観の表れです。

病気や怪我、苦しい修行、自ら飛び込む必要はありませんが、身の危険や危ない目にあってこそ倫理観は鍛えられると思います。
たとえば心身錬磨、人間をやめるほどの覚悟をもった凄まじい修行、そして誓約書を交わして挑む試合という合法的な決闘。
とある幕臣末裔の現当主の先生(某国の軍隊から一斉に銃口を向けられたことがある)が私に対してこう言いました。

『君ね、君はまともに育ってるに決まってるじゃん!』
『初対面で私の何がわかるっていうんですか。(笑)』

ポリグルの小田先生はこう言います。
『君は一本気な性格やから』『君はオレの弟子みたいなもんや』



ちなみに小田先生は内戦地域にも赴いて口に銃口を突っ込まれたり、非常に危ない目に遭ってきたそうです。

そんな方々に気に入られるということは!

この先の人生が思いやられます。
いやだ〜、こえ〜よ〜。だいじょうぶか、オレ〜。

結論、鍛すぎはほどほどにしましょう。

長いこと武術をやっていると面白い仲間たちもいました。
拳や脛を鍛えるために骨を変形させるために砂袋を蹴ったり突いたりするんですが、疲労骨折したとか、皮膚が破けても蹴り続けたせいで
バイキンが入って感染症になって高熱で寝込んだとか。
ある方が、私が牛乳瓶を脛で割ってみせた事をお医者さんに嬉しそうに話したら、
『大丈夫なんですか!その人!!』

『いってー!!って言ってましたわ〜😆』

『いや足じゃなくて!頭!頭大丈夫ですか!!』

侍って結構楽しかったのかもしれません。