2025/04/30 22:25
衣食住が整った環境では、倫理を伴わない規範や上下関係が何故か生まれてきます。職場や学校で厳しい上下関係や人権侵害を生みだします。
体育会系のノリと言えばわかりやすいかもしれません。
倫理を欠いた力の支配がはびこり、上司や先輩が部下や後輩を抑圧します。私にはこれがテロリズムの論理と非常によく似ているように思うのです。歴史を振り返れば、戦前の日本で「上官の命令は絶対」が戦争を引き起こし、企業の不正でも「上の言う通り」が隠蔽を助長してきたように思えてならないのです。
よく聞くと思いますが、『この世界は上の者が【カラスは白】と言えばカラスは白になる』という頭のイカれた理屈が罷り通る業界が国家規模だったらと思うとゾッとしますよね。
それが一部の組織で規範として運用されているとしてもテロリスト予備軍確定です。
私がいくつもの町道場で培ってきた侍の精神とこのテロリズムの論理は真っ向から対立します。
武士道の厳しい上下関係は、成長と調和のためにありました。師匠が弟子を容赦なく鍛えるのは、技術や心を磨き、自立した人間にするためでした。そして社会の不正に対してたった1人でも勝ち目が薄くても敢然と立ち向かう勇気を育む場所だった気がします。多分。
いや、だから多分ね。
武士道では、上の者は絶対に間違ってはいけないという責任がありました。徳を積んだ者にしか上下関係を築かせなかったのかもしれません。
故に【上の言う事は絶対】という理屈が罷り通っていたのではないのでしょうか。【上の言う事は絶対】これは上下関係組織の下の者に向けた服従の論理ではなく、上下関係組織の上の者に向けた戒めの論理だったのです。
しかし、明治維新後、テロリストによる政権奪取がなされ、上下関係組織の上に位置する者の責任や倫理が世代交代をしながら抜けていき、上の命令に従うことが美徳とされるようになりました。それは安定した保守主義が運営されていく中で、先代の徳よりも権力や財産ばかりが濃縮されていきました。それが保守主義の弱点であり世襲が忌み嫌われる由縁でもあります。そこでリベラルが台頭し始めるのです。
倫理が抜けた上下関係組織はテロリスト予備軍と言っても過言ではありません。
上下関係組織の下に位置する者は、生活のため、お金のため、家族のため、不正や汚職があっても見て見ぬふりをしなければなりません。
彼らはそもそも侍ではないのですから。
しかし気が付かない内に戦争に駆り出され、最前線に立たされたのも彼らなのです。
江戸時代や戦国時代なら基本的には武士同士の戦いに農民が弁当持参で見物に行っていたそうですが、明治維新以降は国民が戦争に駆り出されるようになった事をここに記しておきます。それがファシズムであり、同調圧力であり、パノプティコン社会の正体なのです。
倫理を大切にする事は勇気はいりますが、決して難しい事ではありません。
それは、越えてはならない一線を自分の中に持つ事です。何があってもこれだけは譲らない、という道徳観を持つ事なのです。
昨今世の中には、様々な組織論が唱えられお腹いっぱいで消化不良状態にも見えます。
はっきり言ってしまえば組織論などどうでも良いのです。倫理観が備わっているのかどうかがその組織を見極める1つの目安なのです。
それでは、前田日明氏と苫米地英人博士の対談をご覧下さい。
https://youtu.be/Cxqjk_xbBhg?si=NcsLm547YWX7YYtO