2025/05/09 00:42

 現役時代は1年のうち10ヶ月ぐらいは身体のどこかの骨が折れてるか、捻挫してるかでした。

 かつて香川県の善通寺市で行われた試合で元ムエタイチャンプのヘビー級のMさんの右ストレートをモロに食らってダウンこそしなかったものの、立ったまんまで意識を失った事がありました。試合中に意識が戻ってなぜか死んだ祖父と母親が頭に浮かんだ記憶があります。

 あとで聞いた話だと、レフェリーが試合を止めてくれたのかな?Mさんも私にとどめを刺さずに最後まで戦ってくれました。

 ほうほうの体で自宅にたどり着き、しばらく仕事以外では安静にしていましたが、試合で負けた悔しさが募ってきて早々に練習を再開します。しかしそれから1ヶ月経ってもダメージが抜けなくて酷い頭痛に悩まされてました。そこでいつもの接骨院の先生に診てもらうと、『君の今の身体は一般人だと大きな交通事故ぐらいの傷み方だよ!練習も休みなさい』と言われました。

 それからやがてダメージが抜け、減量をして1年後に階級を下げてライトヘビー級で試合に挑みました。ジムメイトや師範のおかげで万全の仕上がりで迎えることが出来たにも関わらず私はやらかしてしまいます。

 そのやらかし話の前に1つ。

 開会式があったのですが、開会式の最中にめんどくさくなった私は、その開会式を1人だけ外れて勝手に控室で昼寝を始めてしまいます。そしたら大会関係者が心配になったようで、

 『藤本君!大丈夫か!?具合悪いの?』と本気で心配されてしまいました。私は【いや開会式ってめんどくさいので昼寝してる方がマシかなって】とも言えず『いえ、大丈夫です!気分悪かったけれどもう治りました!』

 後になって考えたんですが、普通は【体調不良】だと思いますよね。

 それではやらかした話に戻ります。

 ウォーミングアップ中に怪我をしてしまうのです。しかも1回戦のウォーミングアップ中にです。とっておきの技を失敗して1人で派手に転んで左足親指を骨折します。(←翌日の病院でのレントゲンで判明、ちなみに片耳は鼓膜が破れていた)


 その大会では決勝で判定負けでしたが、前年私を半殺しにしたMさんが会場に来ていて応援してくれました。

 Mさん『開会式まくりやがって(笑)今年は選手じゃないから応援してやるわ!』


 

 最後はせめてプロとしてプロのリングで戦って勝って終わりたかったのですが、叶いませんでした。

 あんなに辛くて苦しくてしんどいのはもう年齢的にも体力的にも身体的にもムリですが、生涯忘れ得ぬ楽しかった日々であることは間違いありません。そしてそれを支えて私を鍛えてくれたのは師範や仲間たち、接骨院の先生でした。あのような季節はもう巡ってこないのだろうな、と思います。それでも夢中で駆け抜けたことが今となってはせめてもの救いです。

 その時すでに30歳を超えていましたので自分でもわかっていたのです。

 【今がこれからの人生で何度も振り返る事になる日々だろうな】ということが。

  嬉しいとか楽しいとかのイベントよりも、辛くて苦しい日々の方が糧になるのは何故でしょうか。

 何故かその事を知っていたから、あの頃がむしゃらになれたような気がします。

 

 そして骨折が治りかけたその年の夏の日の午後、とあるボクシング世界王者の親父さんが私を訪ねて来られます。

 

 『長谷川やけど。アンタが良平君か?』