2026/03/18 14:36

軍国主義教育を噛み締める
明治時代の思想家の新渡戸稲造さんは『武士道』の中で日本の武士の精神を基盤とした道徳観を世界に紹介しました。昔の5千円札のおっちゃんね。
倫理観は単なる感覚や知識ではなく、試練や覚悟を通じて鍛えていくものだと私は思います。
倫理観とはただ育てるだけでは軟弱であり、そのような倫理観は社会に混乱を招くものになるでしょう。ですから極真の大山総裁は正義なき力は暴力なり力なき正義は無能なりと説かれているんだと思います。
私は新渡戸稲造さんの『武士道』もそういうニュアンスで解釈しています。
幸運にも現代日本ではそのような試練や覚悟が自身の身の安全を保障された上で試される機会が多々あります。身の安全が保障されないケースもありますが、さすがにそれは逃げても良いんじゃないかと思いますが。
そういった観点で私は長らく武道の道を歩み、社会や大人たちを見てきた気がします。
私はこれまで凶器をもった者と2度ほど対峙し制圧した経験があります。逃げられなかったわけではないのですが、修行の成果を確認したくて制圧してしまいました。
企業の非人道的な行いや不正や汚職に遭遇した時、逃げてしまう大人たちがほとんどです。軟弱な倫理観とはそういうものです。不器用と言ってしまえばそこまでですが、立ち向かうべき時に立ち向かわなければ自分の武士道がウソになるような気がしていました。
お金の苦労では倫理観は鍛えられないんですよ。だから日本ポリグルの小田先生なんかはお金の苦労はもちろんあったわけですけれど、それ以上に内戦地で強盗に襲撃されて銃口を口に突っ込まれたりしてるんですね。そこまで危ない目に遭うのが良いなんてぜったいに思えませんけれども、あの人の強靭な倫理観はそういう経験から鍛えられたんだろうなとおもいます。私なりにそう感じます。だから薄っぺらい奴らはある程度付き合ったらわかってくるんですね。もっと早くわかれば良いんですけれど、それはまだ私も修行不足という事ですね。
病気とか怪我とか苦しい修行とか、自ら飛び込む必要はありませんが、身の危険や危ない目にあってこそ倫理観は鍛えられると思います。
衣食住が整った環境では、倫理を伴わない規範や上下関係が何故か生まれてきます。職場や学校で厳しい上下関係や人権侵害を生みだします。私は学校の外で空手や格闘技をやってきたんですけど、そんな軍国主義的な道場はなかったですね。だから学校で武道や格闘技をやってきた人達は軍国主義的な体育会系の人もいたりするんで、衣食住が整った環境になるとそういう軍国主義的な上下関係がなぜか出てくるように思います。親の脛を齧っている身分でたかが学校の運動部で上下関係にこだわるのが滑稽なんですよね。私からすればね。
自分でアルバイトなり社会に出て、自分で稼いだ金で道場に通って修行してきた私たちと、親の金で武道やスポーツをやってきた人たちではなんか違うんですよね。ですから私は後輩や弟弟子が高校生になったら必ず言ってたのは【高校生になったらアルバイト出来るんだから自分で稼いだお金で道場に通うようにしなさいよ、どれだけ厳しい上下関係のある学生の運動部よりも自分で稼いだ金で通う道場で修行した方が値打ちがあるからね】って言ってましたね。今でも言います。
体育会系組織というのは脳筋だとか屈強で強靭な方々なんでしょうが、倫理的には軟弱な人間の集まりなんでしょうね。それは仕方ないんですよね。周りの大人がそういう環境に囲い込んでるんですからね。だから軍国主義教育に簡単に洗脳されてしまうんだと思います。
