2026/06/02 10:23


押忍、藤本です。



昨日とある宗教団体の本部のそばを通りがかりました。

仲が良かった同級生の実家がその宗教の教会だった事、そして私の祖母が信仰していた縁もあり、幼い頃から慣れ親しんできた宗教でもあります。

今まで気に留めてこなかったその宗教団体を調べてみました。

その宗教の成り立ち、何十億もの本部の建築費は信者の寄付によるもの、高度経済成長期とバブル期に相まって勢力が伸びた事など調べるうちにふと思い浮かんだ事を今回は述べていこうと思います。


成り立ちは大正時代、高度経済成長期からバブル期にかけて信者数を大きく伸ばしたこと、何十億円規模とも推定される本部の壮大な建築費が、信者からの寄付によって賄われたことなどが明らかになりました。

その時代の信者の願いは家族の幸せと孫子の幸せ、と言ったところでしょうか。しかしながら現代では政治も経済も斜陽国と成り果て孫子は苦労を強いられ、信者ですらない私たちは救済されてはいません。世界はトランプのゲーム感覚でそのそばではしゃぐサナエちゃんみたいな構図で混迷を極めており、世界の安寧とは程遠い現状です。


組織として着実に基盤を固め、巨大な施設を維持・拡大してきた歴史は、確かに一つの「成果」と言えるかもしれません。

しかし、同時に強く感じたことがあります。

この巨額の資金とエネルギーは、どこに向けられているのか。

本部の威容を象徴するような建造物の建立と維持、信者コミュニティ内部での安心や結束の強化――いわば「内向きの循環」に、圧倒的な資源が投じられている印象が拭えませんでした。もちろん、信仰として個人の救いや心の平穏を提供する役割は否定しませんが、世界全体の苦しみや、地球規模の具体的な課題解決(貧困、疾病、水問題など)に対して、どれほどの直接的な貢献を果たしてきたのか、という疑問が湧いてきます。


豊かな先進国の住人の贅沢な悩みを聞いてきただけじゃね?


成り立ちから100年の宗教がこの程度の社会貢献しかできていないのと、創立からたった24年の日本ポリグルのソーシャルビジネスとを比べてしまいました。

小田兼利博士の日本ポリグルは、「水」という極めて具体的な手段を通じて、実際世界100カ国以上、1300万人以上の水問題を解決しています。命を救い、生活を変えるという外向きの明確な成果を短期間で生み出しています。一方、この宗教団体を含む多くの伝統的宗教組織は、たとえ巨額の資金を集めても、その大半が施設の維持や内部の儀式・教義の保持に回され、外界への利他的なインパクトが相対的に希薄であるように見受けられます。

ここで再び思い至るのは、「煩悩の大きさ」と「利他の真偽」の問題です。

信者一人ひとりの「家族の幸せ」「自分の救済」という欲求は純粋かもしれません。しかし、それが組織全体として「より大きな本部を」「より強固な教団基盤を」という方向に集約されていくと、結果として内側に閉じたエネルギー循環を生み出してしまいます。これは、生物的本能としての身内愛の延長線上にあり、人間が前頭前野によって獲得したはずの「血縁・利害を超えた真の利他」とは、質的に異なるように思われます。犬猫だって我が子はかわいいわけです。今のところ人間だけが利他の精神をもてるかもしれない進化を遂げている個体が発生してきています。


巨大な建造物は、果たして利他の証なのか、それとも「大きな煩悩」を組織として具現化した結果なのか。

この問いを突き詰めると、宗教が本来目指すべき「世界の安寧」と、現実の組織運営との間に、かなりの乖離が生じている可能性に気づかされます。そして私は決して宗教だけを批判しているわけではありません。地方創生を目論む首長や地方議員やそれに群がる既得権益者達にも同質のものを感じとってきた事に気付かされました。


組織は成熟し、大きくなると自己保存を始めるのでしょう。


日本ポリグルも将来そうなるのかなぁと思いました。