押忍、藤本です。
今日は、ずっと引っかかっていた二つのことを一緒に話させてください。「プロンプトエンジニア」という言葉と、「これからは文系の時代だ」という言葉。どちらも、どこかモヤっとするんです。
「プロンプトエンジニア」、もう一年で色あせてきた
ちょうど一年くらい前、「プロンプトエンジニアリング」という言葉がかなり話題になりましたよね。「AIへの指示の出し方が専門スキルになる」という話で、それなりに盛り上がっていたと思います。
でも今、改めて見渡してみると、その言葉が急速に色あせてきている気がするんです。AIの進歩がものすごく速くて、モデル自体が賢くなった結果、「指示の出し方をガチガチに最適化する」必要性が薄れてきている。
一年という短い期間で、これだけ変わるのがAIの世界ですよね。
そのタイミングで「文系の時代だ」と語った会長
その「プロンプトエンジニア」という言葉が盛り上がっていた頃、とある某法人の会長さんが、この言葉を聞いて確信したように言ってたんです。
プロンプトを書くのは言語の仕事だから、文系が強い。そういうロジックだったんだと思います。気持ちはわかるんですよ。でも、どうしても腑に落ちなかった。
そもそも「プロンプトエンジニア」という言葉自体、私はちょっと違和感があって。
「プロンプトエンジニア」は、プロのエンドユーザーでしかない
エンジニアって、もともとかなり専門性の高い職業だと思っています。設計して、構造を理解して、システムを組み上げる。それがエンジニアリングのはずです。
でも「プロンプトエンジニア」って何をしているかというと、正直に言えば、AIというツールの上手なユーザーでしかないと思うんです。道具の使い方が上手いのは素晴らしいことだけど、それをエンジニアと呼ぶのは、ちょっと違う気がする。
なんでもかんでも「エンジニア」をつければ箔がつく、みたいな風潮が、個人的にはちょっと気に食わないんですよね。
そして「文系・理系」に分けること自体が、思考停止だと思う
話を戻すと、「プロンプトは文系の仕事だ」という発想の根っこにある「文系・理系」という分類自体が、私はかなり怪しいと思っています。
そもそも、人間って文系と理系に分かれて生きているんじゃないですよね。一人の人間の中に、両方が内在しているんです。
私自身、学歴としては一応理系なんですけど、別に文系的な考え方をしていないわけじゃない。相手の気持ちを考えたり、言葉で伝えたり、普通にやっています。逆に文系出身の人だって、数字を読んだり論理的に考えたりは、日常で普通にしているはずです。
誰もが日常の中で、理系的な思考と文系的な思考を、意識せずにブレンドして生きているんです。
「どちらかに分けて考える」こと自体が、一番痛い
「自分は文系だから〜」「自分は理系だから〜」という話を聞くたびに、もったいないなと感じます。自分で自分の引き出しを半分ロックしているようなものですから。
でもそれ以上に引っかかるのが、その分類を使って時代を語ろうとすること。「AIの時代だから文系が有利だ」という分析は、古い二項対立のフレームをそのまま新しい時代に当てはめているだけで、実態をとらえていないと思います。
AIの進化のスピードを見ていると、「プロンプトエンジニア」という言葉が一年で色あせたように、固定した分類に乗っかった話はすぐに賞味期限が切れます。
それよりも、文理の壁を気にせず、必要なときに必要な思考を引き出せる人の方が有能ですよね。
古い枠組みに乗っかって、自分の思考を狭めるのはもったいない。
